昭和39年4月〜
昭和43年3月 |
名古屋大学在学中の4年間、YMCAのリーダーとして少年体育、青年成人体育の指導にあたる一方、夏休みにはキャンプ指導、冬休みにはスキーの指導を行う |
昭和43年3月 |
名古屋大学卒業 |
昭和43年4月 |
財団法人名古屋YMCAに就職 |
昭和43年4月〜
昭和47年3月 |
名古屋YMCA体育主事として野外教育事業(キャンプ、スキー)及び体育事業全般に関わり特に中高年体育の普及・指導に努める |
昭和47年4月〜
昭和48年3月 |
財団法人日本YMCA同盟研究所に入所。同研究所及び日本各地の大学や研究機関で成人及び中高年者の運動の仕方や健康づくりについて研究 |
昭和48年4月〜
昭和54年3月 |
名古屋YMCA体育主事として体育事業全般に関わる |
昭和54年4月〜
昭和57年3月 |
名古屋YMCA体育主任主事・同体育館館長として野外教育・体育事業全般の責任を担う |
昭和57年4月〜
昭和60年2月 |
名古屋YMCA会員部主任主事(兼体育館館長)として会員事業全般の責任を担う |
昭和60年3月〜
昭和62年3月 |
財団法人日本YMCA同盟に出向。同ウェルネス開発センター主幹として全国レベルのウェルネスプログラムの開発を担当 |
昭和62年4月〜
昭和63年12月 |
財団法人日本YMCA同盟ウェルネスセンター主幹として全国レベルのウェルネスプログラムの推進を担当 |
昭和63年1月〜
昭和63年3月 |
財団法人名古屋YMCAに帰任 |
昭和63年4月〜
平成2年2月 |
財団法人横浜YMCAに赴任。本部事務局を担当 |
平成2年3月〜
平成3年3月 |
同厚木YMCA健康教育ディレクターとして健康教育事業全般の責任を担う |
平成3年3月 |
財団法人横浜YMCAを退職 |
平成3年3月 |
ウイプロジャパン株式会社を設立。代表取締役に就任 |
平成3年5月 |
健康開発総合研究所を設立。所長に就任 |
平成3年5月 |
新スポーツ・レクリェーション開発研究所を設立。所長に就任 |
平成8年8月 |
ハイデルベルグ大学(独)で開催された Fourth
International Congress Physical Activity,Aging
and Sports(テーマ:Healthy Aging,Activity
and Sports)に参加 |
平成10年1月 |
個々人の心身のケアーを目的に青樹整体クリニックを開設 |